主体性を問うこと自体に課題がある
主体性は他者によって意味づけられるものではないだろう
子どもはすでに主体として生きている
すでに主体として生きている子どもを
大人が見つめ 価値づけ その主体性を意味づけることは
すでに主体として生きている子どもの主体を
損なうものではないだろうか
主体を意味づけるとき
主体を意味づけるとき 主体は主体ではなくなる
それは 大人から意味づけられた客体である
大人が 主体的であってほしいと 願えば 願うほど
子どもの主体は 主体であることを邪魔される
主体は 意味づけられるものではないから
主体はありのままに そのままに主体であるから
主体性が育まれる学びの場を
子どもが生まれたとき 子どもは主体である
自らの「生」を一生懸命に生きる
まさに主体である
僕たち大人は ときにその主体を奪い
大人の都合にあった 主体的なものを押しつける
もともとある主体性を
どれだけ 削ぐことなく
育まれていく主体性を愛せるか
そこに大人としての 大切な 在りかたがあるのかも
そんな場をつくりたい