子どもの声を聴く感覚

子どもの声を聴く感覚があるかどうか

それが「せんせい」にとっては とてもだいじ

小学校で 大きな声で 元気に

子どもたちの前に立てればいいわけではない

どちらかというと 発することができるかではなく

「聴く」という感覚があるかが大事

聴いてくれることではじまる


聴いてくれることで

子どもの世界が開かれる

どれだけ 楽しそうに 元気に

先生が演じても

本当の意味で 子どもの世界が開かれることにはならない

表面上で 楽しむだけで終わってしまう

「子どもたちの声が聴きたい」

それが 滲み出ているような人が 

「せんせい」なんじゃないかな



聴くことの難しさ


聴くって 難しい

聴いているつもりってのがある

聴いているつもりってのが多い

聴いているふりってのも多い

聴くって 難しい

本当に聴くことができているか

いつも いつも 自分に問いかけながら

毎日を 過ごすんだ

それも 「せんせい」のしごと かも



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