せんせいにとって必要なこと
せんせいにとって なくてはならない感覚
せんせいの感受性
それは 子どもの痛みを 自らのうちに宿すこと
簡単にいうと 何かあったときに
真っ先に 子どものことを想うこと
もっと具体的な行動でいうと
何かあったときに 子どもを主語に 話が始まること
そうじゃない先生は
「私は こんなにやったのに」
と 「私」が主語になる
子どもが主語になるせんせいって
「あの子は こんなふうに感じていたのかな」みたいに
子どもが主語になる
もっと言うと
そんなことばも出てこない
子どもの痛みを そのままに感じ 悲しむ
それが せんせいの感受性
それが せんせいにとって 必要なことだと思う
子どもの痛みを宿すこと
抽象的な表現だけど
子どもの悲しみに 心奪われてしまうような感受性
子どもの悲しみを そのまま自分の悲しみのように悲しんでしまう
そんな感受性が せんせいには必要
子どもの痛みを宿すことができるせんせい
それは能力ではない 力ではなく 感性
感受性の次元の資質なんだと思う
頭で考えるんじゃない
皮膚のうちで他者の悲しみが うごめいてしまう
そんな認識を超えた 感受性
それは 子どもがもっている感受性でもある
子どもの近くで生きるせんせいには
そんな感受性が 必要なんだと思う