学校では どんな教育活動にも 目的がある

目標なんて言われたりする

授業をするにも 行事をするにも

ゴールを意識して

先生として 子どもたちに 指導?する

でも 「せんせい」は

本当の本当は

そうじゃない次元にも

目を向けてなきゃいけないんだと思う

それは 目的をもたない 学びの次元



目的をもって目的を手放して


目的をもって 教育をするってことは

その目的に 子どもを近づけようとすること

子どもを コントロールすること

でも 子どもの学びは コドモノ

そもそも コントロールできない

コドモノ 学びは



だから 「せんせい」は 目的をもって

目的をもったうえで 目的を手放さなければいけない

目的のない時間 そのなかで 子どもは「自分を生きる」

何かのためじゃない 自分を生きるってこと

そのなかで 学びは訪れ 育まれる

「せんせい」は 目的をもったうえで

その次元もみつめて 大人の目的を手放さなくちゃいけない

だって そもそも 学びは コドモノだから


遊びと祈り



大人の目的のない時間

それは コドモノ 遊び

コドモノ 遊びは 世界への祈り

そんなふうに 言ったら 変かな

コドモノ 遊びは 世界との出合い

っていったら ちょっと 伝わるかな

コドモノ 学びは 大人の目的とは別の次元で

産まれている

目的のない時間のなかで




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