せんせいは「わかっている人」だと思われている。でも、本当に子どもの前に立つとき、わからないことだらけだ。そして、その「わからなさ」を手放さないことが、もしかすると、せんせいの一番大事な仕事なのかもしれない。
わかっていないといけない、という呪い
せんせいになると、いつのまにか「わかっている側」に立たされる。教科の知識、指導の方法、子どもへの対応。周りからも、自分自身からも、「わかっていて当然」という期待がかかる。
でも、正直に言えば、わからないことのほうがずっと多い。
あの子が今日、急に黙ったのはなぜだろう。あの場面で発した自分の言葉は、本当にあれでよかったのだろうか。昨日うまくいったやり方が、今日は全然響かないのはどうしてだろう。
そういう「わからなさ」に出会うたびに、つい何かで埋めたくなる。理論や方法や経験則で、わかった気持ちになろうとする。でも、埋めた瞬間に、何か大事なものがこぼれ落ちる気がする。
わからないまま、とどまること
不思議なもので、せんせいが「わからない」を正直に抱えていると、子どもとの関係が少しやわらかくなる。
「先生もわからないんだ」という空気は、教室のなかに余白をつくる。子どもが安心して迷える余白。答えを急がなくていい余白。自分のペースで考えていい余白。
せんせいが「わかっている人」として振る舞い続ける教室は、実は子どもにとって息苦しい。正解がすでにあって、そこにたどり着かなくてはいけない空間だから。
でも、せんせい自身が「わからないまま、ここにいる」と思えたとき、教室はもう少しだけ、呼吸のできる場所になるのだと思う。
わからないことは、弱さではない。わからないまま、子どものそばにいられること。それは、せんせいにしかできない、静かな強さだと思う。
今日、わからなかったことを、わからないまま持ち帰ってみませんか。その「わからなさ」が、明日の自分をほんの少し、やさしくしてくれるかもしれません。


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