「事務」という言葉は、どこか冷たく聞こえる。
書類、押印、期日、提出。そういう言葉と一緒に語られることが多い。
先生の仕事の中で、最も「意味がない」と思われやすいのが、この事務かもしれない。
でも、本当にそうだろうか。
事務とは、世界に呼応することである
「事務」を分解すると、「事」に「務める」 ことである。
事とは、出来事であり、関係であり、世界に起きていることそのものだ。
学校という場で言えば——今日もここに子どもがいる。
その子が笑い、悩み、転び、立ち上がる。
そのことに、応答することが事務の出発点である。
教員の事務とは、世界に呼応し、子どもたちが立ち上げる世界の大地を固めることだと、私は思っている。
子どもは、自分の力で世界を立ち上げようとしている。
その足元が、少しでも安定した地面であるように。
記録を残し、連絡を取り、計画を立て、書類を整える。
それは、子どもの世界を下から支えるための、見えない仕事である。
だからこそ、問わなければならない
大地を固めるという役割を持つのなら、問いが生まれる。
これは、本当に子どもたちの世界を支えているか。
一見すると事務に見える作業の中に、実は子どもたちのためになっていないものがある。誰も読まない書類。形式のためだけの記録。毎年繰り返されるが、誰も見直さない慣習。
そういうものは、やめるべきだと思う。
大地を固めるどころか、先生の時間と精力を奪い、かえって子どもから遠ざけてしまう。
一方で、こんなことも言える。
一見、無駄なことのように感じる事務でも、実は子どものためになっているものがある。丁寧に書かれた一枚の記録が、数年後、その子の人生の節目で意味を持つことがある。地道な連絡が、家庭と学校の信頼をつなぐことがある。
事務の価値は、すぐにはわからない。
だからこそ、問い続けることが必要なのだ。
雪かきという比喩
事務処理は、雪かきに似ていると思うことがある。
降り積もった雪を、ただ取り除く。
またすぐ降る。また除く。終わりがない。
完成した形が残るわけでもない。
除いた雪は、いずれとけて消える。
教員の事務も、そうだ。
書いた書類は、いずれ処分される。
記録したデータも、年度が変わればアーカイブに沈む。
次の年、また同じ書類を書く。
残らない。積み上がらない。目に見える成果にならない。
それでも、雪かきをする。
なぜか。
子どもたちが、今日も歩けるように。
その足元の道が、少しでも安全であるように。
事務は、そっと支える仕事である
雪かきの跡は残らない。
しかし、そのとき確かに、誰かの道が開けた。
事務もそうだ。
その書類が何年後かに処分されようとも、そのときそのときの「世界(事)」に務め、子どもの世界が立ち上がるのをそっと支えた——その事実は消えない。
先生の仕事の中で、最も地味で、最も省みられることが少なく、でも最も誠実であることを求められるのが、事務かもしれない。
華やかさはない。感謝されることも少ない。
それでも、大地は固められ、雪は除かれ、子どもたちの世界は今日も立っている。
それが、大切なのだと思う。
