「せんせいの、待つ仕事」

01_「せんせい」って

子どもの前に立つとき、ぼくたちはいつも何かをしようとしている。声をかけ、問いを出し、次の手を考える。でも、「何もしないで待つ」ということが、ときにいちばん深い仕事になることがある。


待てない

授業中、子どもに問いを投げかける。三秒、沈黙が続く。その沈黙に耐えられなくて、つい言葉を足してしまう。ヒントを出す。別の子を指名する。「わかる人?」と聞き直す。

あの三秒は、何だったのだろう。

子どもはきっと、考えていた。言葉を探していた。まだ形にならない何かを、ゆっくり手繰り寄せようとしていた。そこにぼくの言葉が割り込んで、その糸を断ち切ってしまった。

待てないのは、子どものためではなく、自分の不安のためだったかもしれない。


待つことは、信じること

「待つ」という行為は、受け身に見えて、実はとても積極的なものだと思う。

待つためには、「この子はきっと、自分でたどり着ける」という信頼が必要だ。時間をかけてもいい、という余裕が必要だ。答えが出なくても、その過程に意味がある、という確信が必要だ。

待てないとき、ぼくは子どもを信じていない。子どもの想いより、授業の進度を優先している。沈黙を、空白ではなく、無駄だと感じている。

でも子どもにとって、あの沈黙は空白ではない。思考の、もっとも濃い時間だ。


待ち方にも、種類がある

ただ黙って時計を見るのは、「待つ」ではない。

本当に待つというのは、その子の表情を、呼吸を、指先の動きを、静かに受けとめながら、一緒にその時間のなかにいることだ。「いつでもここにいるよ」という気配を漂わせながら、でも急かさないでいること。

その気配は、子どもに伝わる。「先生は、ぼくが考えているのをわかってくれている」という安心感が、思考をもう一歩だけ前へ進める。

待つことは、沈黙の対話だ。


子どもの時間を守る

ぼくたちは、授業の時間で動いている。でも子どもは、もっと違う時間のなかで生きている。

ひとりの子が何かを理解するのに、一分かかる子もいれば、一週間かかる子もいる。それは能力の差ではなく、その子の時間の流れ方だ。

せんせいの仕事のひとつは、その子の時間を守ることだと思う。集団の速さに巻き込まれて、自分の時間を見失わないように。急かされて、考えることをあきらめないように。

待つせんせいがいる教室は、子どもが自分の速さで育てる場所になる。


今日、ひとつだけ、待ってみませんか。その子が自分でたどり着くのを、黙って、そばで見ていてみませんか。


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